胆道閉鎖症と突き進むおかあのブログ

生後2ヶ月で難病と診断された私の今と今までの事

肝臓病からの倦怠感を伝える難しさ

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肝臓が弱っている人の典型的な症状として倦怠感がよく言われます。

いわゆる「だるさ」ですが、私もこれに長年悩まされた一人です。

 

肝臓病の人が倦怠感を感じる主な原因は疲労です。

このご時世慢性疲労を感じている人は多いですが、肝臓病の人が感じる倦怠感は放っておくと肝硬変へ繋がる危険性が高いと言われています。

 

人と比べられないのでどうかは分かりませんが、私が感じていた倦怠感は酷い時には立っているのがやっと、それが数週間続く感じでした。

 

緩和策としてはとにかく休息!!

ですが私はこれを人に伝えるのに悩みました。

 

私の場合、病気による何らかの支障が常日頃からある訳ではなく基本的には普通に生活ができていたので、仕事を始めたばかりの頃自分が病気である事をなかなか言い出せませんでした。

 

慣れない社会人生活に身体は確実に蝕まれていましたが感じている倦怠感について上手く上司に話せませんでした。

 

「疲れが抜けないので休ませて下さい」

 

なんては普通の社会人であれば言いにくいし、ハードな職場環境だったので疲れているのは皆一緒で、自己管理ができてないとか下っ端のくせにと思われるのではないかとどう話せばいいのか分かりませんでした。

 

更に若かったので自分自身でも限界を汲み取れず、

私はもっとできるはず!!

能力を認められたい!!

そんな想いも強く、病気の事を隠したい想いもありました。

 

帰ったら立っていられない程疲れ切っているのが毎日当たり前の状態で過ごしていました。

そんな日々を半年も続けると、胆管炎になり倒れて救急車で運ばれる事が頻繁に起こるようになりました。

 

仕事はままならずモチベーションは下がり、だんだんと仕事にも行かなくなり辞めてしまう。

不器用な私はそれでも自分の限界を汲み取れず数年の間同じ事を繰り返し職場を転々としました。

 

本心ではきちんとした雇用形態で安定した生活を心底望んでいたので、その状況は私には苦しいものでした。

 

成人して法的に病気としての扱いを受けれなくなっていた事がネックだったのと、母との確執の中でどうしても自立して生活をしたかった意地もあり、職場を変えても病気の事を上手く話せないのは一緒でした。

 

それでも転々としながら10年ほど花屋や花市場で勤め、気がつけばそれなりに手に職がついていました。

結果的にはフリーランスで独立という形で自分のペースで仕事を選択して身体を守る様になりました。

 

そして今の仕事も業務委託契約という形で時間的にかなり融通が効く状況で働いているので、雇用形態によって身体を守るのが私の今のところの最善の選択となっています。

 

結局、職場で病気のカミングアウトをしてその上で上手く働いていくという事は私には難しい選択で、正規雇用をされたかった私にとっては本来希望する働き方に対してはいつも選択に制限がある状態でした。

 

 

 

今、様々な働き方を提供・提案している会社が増えていると思います。

その中で私の様な

障害者手帳を持たない障害者」

という目に見えにくい立場の人も救われている環境が増えているのではないかと感じています。

 

大切なのは両者の理解だと思います。

私側の立場としては病気を恥ずかしい事と思わずに自分ができる範囲とできない範囲をきちんと伝える事。

受け入れる側の立場としては病気や障害は本当に人それぞれなので難しいかとは思いますが、まずは聞く、そしてそれをペナルティとして扱わず共にやっていく方法を考える事。

お互いがそうできたら色々な事が今より少し良くなるのかなと思います。

 

これは病気や障害に関わらず、自分で自分の仕事環境を手に入れるためにも必要な事でもあると思います。

 

当然身体が強い方が確実に向いている職種なんかもあるかと思いますが、私はできるだけ身体のトラブルを抱えた人たちがそれによって諦める機会が減ればいいなと思います。

 

障害者雇用についてはみるみる進歩している現代ですが、全て障害者手帳「だけで」判断されるという事がなくなるにはまだ色々な整備が必要なのだろうなと感じます。

 

 

いろの