胆道閉鎖症と突き進むおかあのブログ

生後2ヶ月で難病と診断された私の今と今までの事

一年後のあなたは、何をしていますか?

コロナウイルス騒動の渦中、いのちや生き方について改めて考える機会が増えました。

 

今回の件で、私と同じ様に命の大切さをこれまで以上に身近に感じた人も多かったのではないかと思います。

 

一年後のあなたは、何をしていますか。

 

多くの人はその質問に、想像を膨らませて手の先にある様な未来を描ける日々を送っていたと思います。

 

私にとっては、それがずっと難しい事でした。

 

社会人になってすぐ入社した花屋の会社では自分の5年計画を立てるのを勧められ、それを書く欄がある手帳が毎年配られていました。

 

新人の私は期待に胸を膨らませて、当たり前の様にそれを思い描く事ができました。

 

けれど、慣れない社会人生活や、自分の身体の限界を図れなかった事、実際に体力が必要な業務内容だった事などが重なって、何度も胆管炎を起こしました。

その度に短期の入院や療養を繰り返して、何とか1年終えてみると、当初計画していた所まで自分の計画が全く追いつけていませんでした。

 

そんな状況が2年目も続き、職場を変えてみたり、働き方を変えてみたり、生活を変えてみたり、試行錯誤してもどうしても身体がついていかず、段々と1年後の未来を描くのが難しいと感じる様になりました。

 

最初はそんな状況に自分の意志の弱さや努力不足を責めましたが、その後もずっと、頻繁に胆管炎を起こしては療養する生活は続きました。

 

やりたい事とできる事の狭間で悩んで、何度も立ち止まって悔しい思いをしながら、それでも3年、5年、7年、と花業界にしがみついて、気付けば自分が楽に仕事をこなせる程の技術と立場は身についていました。

 

それでもずっと、1年先の事は分からない、という思いはありました。

期待を込めている訳ではなく、私の意志とは関係ない所で動く、身体の変化への不安という意味で。

 

その気持ちはずっと変らず、私に付き纏っています。

 

私が今、多くの健常者と同じ様に生活していけるのはとても幸運な事で、自分自身でも自分が病気であるのを忘れてしまう事もあるくらいですが、それは安全な事ではないと思っています。

私は決して健康な身体の持ち主ではないのだという事を忘れずに、日々の行動を選択していくのが賢明なのかなと今は思っています。

 

1年後どうなっていたいか、ではなくて、今日も明日も明後日も、夢を持って日々目標を追えているように、死ぬ時に少しでもそれに近付けているように、毎日を積み重ねる事が、未来を現実的に描けない私なりの生き方の結論です。

 

世界移植者スポーツ大会というものがあります。

移植者のオリンピックの様なもので、この大会は2年おきに開催されます。

それは、移植経験者にとってオリンピックの様な4年先の未来の状態は思い描き難いという所から決められた2年だそうです。

 

当たり前の様に、未来の日々を思い描けるのは、健康である証拠だと思います。

 

よく病気を患った人たちが、心から今やりたいことをやろうと動き始めるのは、そのためなのでしょう。

 

良い事ばかりではなくてもどんな日だって、今日という日を迎えられたのは、当たり前の様で、本当は素晴らしい事なんだと思います。

 

 

 

 

私は今週は、少し体調が低迷気味です。

内臓と脳が気圧の影響を受けている感覚。

こんな時は、ただただ休む勇気も持たなきゃね。