指定難病の穴に落ちて風俗嬢にまでなった私
大きな病気と闘っている方の多くは医療費助成が受けられる様々な制度を上手く利用していると思います。
私の胆道閉鎖症という病気は3年前まで小児難病としてしか認定をされていませんでした。
それはつまり、18歳になると難病という枠から外れてしまい医療費助成の面で不利になるという事なのですが💦
胆道閉鎖症は今のところ完治しない病気と言われています。
この病気は人によって症状に差があるので一概には言えませんが、基本的には半永久的に通院が必要とされています。
それにも関わらず18歳の時に突然、医療費助成を打ち切られ私は国に見捨てられた感に陥りました。
私は現在、自己肝で生活をしています。
この病気の半数以上は肝移植をしていると聞きますが、その場合恐らく受けられる医療費助成制度が幾つかあると思います。
(詳しくないので違ったらごめんなさい)
私にはその道もありませんでした。
ここまで自己肝でやってこれたのは本当に幸運な事でもあって、でもそれがまたとても複雑でした。
当時の私の状況は母との確執があったので、親元を離れて既に仕事をしていて一人で生計を立てていました。
反面やっぱり身体は人とは違って常に強い倦怠感の中にいて、胆管炎を起こして倒れる事が2ヶ月に1回くらいの頻度でありました。
酷いだるさと目眩が1ヶ月も続く事もありました。
軽度の食道静脈瘤もできていて3ヶ月に1回の検査通院の他に、胆管炎の時の処置など病院にお世話になる機会は度々ありました。
しかし医療費助成はありませんでした。
体調が不安定なのと不器用さが相重なって、安定した職につくのが難しくて金銭面で苦悩する事が多くなりました。
治療費の事を考えて高熱と痛みの中病院へ行き渋った事もありました。
その結果私は、生活費のために夜の世界に飛び込みました。
初めはキャバクラやガールズバー。
しかしそこではお酒を飲む機会が多く余計に体調を崩す様になりました。
そして私は風俗の世界に足を踏み入れてしまいました。
調子が悪い時には気軽に休めて本当に少しの時間を動くだけで1ヶ月食べていくには十分なお金を作ることができました。
身体には大きな手術の跡もあります。
それでも私はその世界で認めてもらう事ができました。
いつも惨めさがつきまとっていて、こうしてしか生きれない自分が悔しくて、辛くて辛くてたくさん泣きました。
生活保護も覚悟で何か救いになる制度はないかと役所や保健所にも何度も足を運びましたが、運が悪かったのかまともに取り合ってくれる事はありませんでした。
私の若さと見た目の元気そうな感じを見て嫌味を言われて門前払いされた事もありました。
そんな苦悩の最中27歳の時、私は子供を産んで間もなくシングルマザーになりました。
皮肉な事にシングルマザーになってからそちらの面で医療費助成が受けれる様になり、ようやく安心して病院に通える様になりました。
その時私の食道静脈瘤は進行していて度々治療を勧められる様になりました。
しかし親元を離れているのは変わらず、小さな子供と2人生活の中での入院治療は私には現実的ではありませんでした。
子供を食べさせる事が第一だったので時々胆管炎になりながら必死に働く様になりました。
そんな日々が続いて30歳の時、胆道閉鎖症が成人の範囲でも指定難病として認められる様になりました。
胆管炎で倒れる事が頻発していたり、何よりこの強い倦怠感の中で必死に働いて生活する事に限界を感じていたので、すぐにでも難病医療費助成の申請をしたいと思いました。
でも自信がありませんでした。
気力で動く事にはもう慣れていて、39度近くの熱があっても仕事をこなしているくらいでした。
どうせまた、元気なんだからと言われてしまうんじゃないかと思うと申請に踏み出せませんでした。
そのまま3年が過ぎた今。
私は色んなご縁に恵まれて今治療入院をしています。
更に難病医療費助成の申請もできる事になりました。
それが、いかに幸せなことか。
この13年、本当に苦しかった。
私は、病気によって私と同じ様な思いや経験をする人がもう一人もいてはいけないと思っています。
だからこうして伝えていこうと思います。
私はそんなに賢くなくて、具体的にどう動けばいいのか自分でもまだ分かりません。
でもこの身体でこうしてここまで生かしてもらっている、それには何か意味があると思うから出来ることを少しずつ探していこうと思います。
長文になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます💕
いろの