自分ではない何者になろうとしているのか
タイトルは昔の親友が最近発信していた言葉。
彼女の言葉を借りると、
求められる女になりたいとか
追われる女になりたいとか、
今の自分を否定して
違う何者かになろうとしたときに
その魅力は失われる
なるほどそれが、私が感じていた違和感だったんだなと納得。
行き詰まった時に彼女のアウトプットに触れると、ヒントが見つかる事がしばしば。
彼女は逸時、有名ブロガーとして活躍していたけれど、私はその頃の彼女が恐くて近寄れませんでした。
一言で言うと、なぜそんなに変わってしまったの?という悲しい感覚。
頭が切れる彼女らしい、明朗でリズムのいい文章からは柔らかさや温かみが見えなくて、しかもそれが本当の自分らしくて最高!みたいに言ってるもんだから、
なんだか住む世界が変わっちゃったなあ、と暫くは彼女の発信を見ない様にしていました。
彼女との間には色濃い思い出が多くて、季節の花を見るとふと思い出す事がよくあります。
それで今回も冬の空気の匂いに触れて、ああ、そういえば何してるかな、と思い立って彼女の発信ツールを覗き見しに行きました。
そしたら何だか、私の知ってる彼女に戻っていました。
そりゃかなり洗練されてはいるけれど、でも柔らかくて暖かくて、黄色が似合う彼女の彼女らしい言葉たちに、心底安堵しました。
人がどんな人生を歩もうとそれはそれ、
そのくらいの感覚は持ち合わせているけれど、私はやっぱり寂しかったんだと思います。
特別に信頼できて、本当に大好きな人だったから。
変わって行く事は必然。
でも根本的な所、なんていうか、うまく言えないんですが、本質的な所を隠すための変化には違和感を感じてしまいます。
冒頭の話に戻りますが、今の自分を否定して何者かになろうとする行為と、こうなりたい!という理想の為に行動する、という事は相反する様で根本的には変わらないと思っています。
要するには、その理想の所在の問題。
あるべき所をきちんと捉えて、それを理想と言えているかどうか、なのだと思います。
ここのところ、人に話し助言を求める作業を怠っていたおかげで、悩むことが増えていたけれど、抜け出すためのヒントを見つけられた気がします。
深呼吸をして、自分に優しく。もっと、もっと。
いろの